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ミスチル桜井が病んでいた鬱期とは?現奥さんとの不倫 アルバム「深海」の魅力

2015年08月28日

例えば精神的に辛い状況に置かれているとき、生活が不安定なときに芸術家は素晴らしい作品を生み出すということがある。彫刻家が良い作品を作るために自分自身をわざと追い込んでストイックな生活をしたり、何か不幸な出来事が降りかかっていたときに画家が描いた絵は、その後後世にまで語り継がれるほどの絵となったり、心が病んでいるときのピアニストの演奏は鬼気迫る誰もが見入ってしまうようなものになったりと、芸術と精神状態は密に関係している。
溜まったフラストレーションを作品に注入し生み出す。
それは現代の音楽家にとっても同じ、作詞作曲をしているアーティストにとっても同じである。

90年代のMr.Children 病んでいた頃の桜井和寿のカッコよさ

Mr.Children

Mr.Childrenは20年以上の活動歴があるが、この活動の中でボーカルの桜井和寿が特に病んでいた時期、鬱だった時期がある。
それがミスチルが人気絶頂だった90年代半ばから後半にかけての時期だ。
94年、「イノセントワールド」で大ブレイクを果たしたミスチルは、その後リリースするシングルは毎回100万枚のミリオンヒットを飛ばし、アルバムを出せば300万枚以上売れるという超ビッグバンドになっていく。
CDが売れた時代とはいえ、出すたびに100万枚以上が当たり前ということは当時から見てもすごい事。
94年から97年までリリースした作品はほぼすべてミリオン超えである。
「ミスチル現象」という言葉も生まれ、その規模は社会現象にまで至った。
そんな大ブレイクを果たしたミスチルだったが、本人達の状況は世間とは正反対に追い込まれていった。

売れることが夢だった ミリオンヒット連発、しかし売れた先には何もなかった

ミスチル桜井

もともと「売れる」ということが夢だったミスチル桜井和寿は、当然このとき夢が叶った状況となる。
当時のバンドで1番売れていた、曲を出せば100万枚は当たり前、テレビや雑誌に引っ張りだこ、ライブも大盛況、夢のような話だ。
しかし売れるということは思っていたものとは違ったそうだ。

ミスチルが大ブレイクを果たすと、ファンももちろん急増、マスコミもミスチルを追う。
もちろんボーカルの桜井和寿の注目度が1番高く、常にマスコミに追われている状態、ファンが家まで押しかけてくる状態となる。90年代はまだテレビ業界は規制が緩かったときであり、マスコミのやりたい放題の追い回し方に苦労しただろう。ファンが家まで押しかけてくることも「有名税」とはよく言われるが、本人は当時の雑誌のインタビューで「本当に辞めてほしい」と語っている。
ミスチルはこの頃から「自分たちのことを気にするよりも、音楽を聴いてほしい」という意思は変わらない。

前妻との結婚、そして今の奥さんである吉野美佳との不倫、精神的にも病んでいた時期

ミスチル桜井

なのでこの頃のミスチルというのはテレビに出ることを非常に嫌がっていた。
今よりもテレビに出ていたのだが、テレビに出るたび、曲をリリースするたびに桜井は髪型を変えている。それは新しい髪型にすれば、プライベートで街に出たときにファンやマスコミに気づかれにくいからだそうだ。
当時の桜井はプライベートで声をかけられることについて音楽番組に出た際に「本当に嫌ですね」と語っている。
今では髪型を曲をリリースするたびに変えるなんて考えられないが、この時のPVなどを見てみると作品ごとに違う。

更に桜井はこの頃プライベードでも辛かった時期だと語っている。

ミスチル桜井は94年に前妻と結婚している。
ミスチルが売れる前からの付き合いで、同じレコード会社の社員で年上の女性だったそうだ。結婚もしてすでに1人娘もできていた。94年に生まれたので最初のお子さんは今では20歳近いのだろうか…

成功も手にし、結婚し子どもも作った、端から見ればすべて上手くいっているように幸せそうに見える。

しかし、ミスチルが大ブレイクを果たすとお互いの気持ちは変化していったのかもしれない。
結婚生活は徐々に悪い方向へ進んでいったのかもしれない。

そして桜井は現在の奥さんである、元グラビアアイドルでもある吉野美佳と知り合うこととなる。
グラビアアイドルグループ「ギリギリガールズ」の吉野美佳とMr.Childrenの桜井和寿。
玉の輿とはこのこと。当時桜井は20代後半、吉野美佳は20代半ばであった。

大ブレイクしてファンやマスコミに追われ続け、病んでいた桜井は、吉野との出会いによって心の拠り所を見つけることとなる。
マスコミとファンに付きまとわれ、結婚生活も上手くいかず、どこにも安心できる場所がなかった桜井が、唯一落ち着ける場所が彼女だったということだ。
前妻との関係はまだ続いていた状態であったため、世間的に見れば「不倫」をしていたことになる。
このこともマスコミの格好の餌食になっただろう。

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苦しい精神状態の中、語り継がれる名盤「深海」が生まれた

そういった辛い状況、不安定な精神状態であった当時のミスチル桜井。

それは当然音楽作品にも影響を及ぼしている。

この頃に作られたアルバム「深海」「BOLERO」という作品がある。

アルバム「深海」

このアルバムは当時の桜井の精神状態がよくわかる作品だ。
そして最初にも述べたようにそういった精神状態で作られた作品は、作った本人の気持ちとは関係なく素晴らしい作品に成り得る。

コンセプトアルバム「深海」ミスチル最高傑作?

特に「深海」は邦楽史上においてこんなに優れたアルバムはないと断言したいほど。
よくピンクフロイドのアルバム「狂気」と酷似していると言われているが、それもわざとかもしれない。この頃のミスチルは洋楽っぽくしていたと桜井自身が過去に言っている。
小林武史プロデュースの元で作られたコンセプトアルバムであり、アルバム全体に繋がりがあり1つの映画を見ているようなアルバムになっている。

「シーラカンス」「虜」「深海」といったダークなサウンドで暗く沈んだ歌詞なのは、当時の桜井の精神状態が大いに関わっている。桜井本人はアルバム「深海」についてあまり良く思っていないことを度々語っている、20代は辛かったと言っていたこともある。
しかし、ファンや音楽リスナーからはかなり愛されているアルバムである。

本人にとって当時はものすごく辛く苦しかったに違いないが、聴いてる見ている側からすればものすごく魅力的に感じる。

BORELOにも「傘の下の君に告ぐ」「ALIVE」など、何かに救いを求めているような曲が多い。

見た目や風貌、ビジュアル面が1番カッコ良かった時期

この頃、桜井がどれだけ病んでいたかは見た目や歌い方にも出ている。
テレビ出演したときにもそれは表れている。

どうだろうか?、どう見ても病んでいるだろう。
だけどそこが魅力的で死ぬほどカッコいい。

こんなふうに「名もなき詩」を今歌うことはできない。これはアレンジされた名もなき詩だがそれもまたカッコいい。
目なんて完全に死んでいる。だけどそこがものすごく魅力的だ。

ライブにもそれは表れている。
96年から97年にかけて行われたツアー「regress or progress '96-'97 tour」
超ハードスケジュールの中行われたライブツアーであり、ミスチル桜井含めメンバーも相当苦しかったツアーである。年をまたいで55公演もの回数を行ったこのツアーはほぼ毎日のようにライブをしていた。ちなみ最新アルバム「REFLECTION」のライブ、アリーナツアーは20公演である。

これはテレビの音楽番組出演時だが、この鬼気迫る感じがカッコ良すぎる。

しかしめちゃめちゃカッコいい。桜井27歳である。
こんな色気を今出すことはできない、歌い方もこの時だからこその歌い方をしている。

忙しさ、苦しい精神状態は限界に ミスチル活動休止

「regress or progress '96-'97 tour」を最後にミスチルは休養期間に入ることとなる。
97年から98年までの1年、大ブレイク中だったミスチルが休養をする。解散説も多く流れたことだろう。
あまりにも忙しく、精神的にも不安定だったため、休養期間に入る。

そして98年、1年後に復帰をした。
復帰後に放たれた最初のシングルが今でも色褪せない、聴き続かれている「終わりなき旅」である。

売れることが夢で大ブレイクを果たし、頂上まで登ったミスチル。
しかし、売れた先には何もなかった。夢のような何かが待ち望んでいるような気がしたけれどそこには何もなかった。

そして出した答えが「終わりなき旅」である。

この頃のMr.Childrenは本当にカッコいい、ロックミュージシャン感が見た目や雰囲気に出ている。

「DISCOVERY」「Q」のマイナー路線に走ったミスチルがカッコいい

休養して復帰したミスチル、桜井和寿も復活したかのように見える。
が、今と比べればまだまだ刺々しい作品を作りまくっていた。

売れることに拘らなかった時期、ロックなミスチル

復帰後、90年代後半に作られたアルバム「DISCOVERY」「Q」
この2作品はミスチルが「売れる」ということに固執しなくなった作品である。
そのためか様々な遊び心が設けられていたり、売れ線のヒット曲のような曲も少ない。
酔っぱらった勢いでレコーディングをしたり、ダーツで曲展開を決めたりしている。
聴きごたえのあるアルバムであり、今でも特に「Q」は名盤扱いされている。
そのためか休養前のミスチル人気の勢いはなくなり、あまり売れなくなったと言われていた。
「Q」は売上で浜崎あゆみに負け、オリコンウィークリー2位となり連続1位記録を止めてしまった。
だからこそ魅力があった。マイナーな路線に走っていくミスチルは単純な言葉で言えばロックだった。

歌詞も社会風刺が多く、刺々しさが洗練されていった

この頃の桜井和寿の精神状態が健康だったかといえば、NOかもしれない。
まだ前妻と離婚協議を重ねていた時期だという。前妻と離婚が正式に決定したのは2000年のことだそうだ。
「DISCOVERY」「Q」にまだまだ「深海」の頃のような刺々しい歌詞が多いのはそのためだろうか。
「Prism」「アンダーシャツ」「#2601」「スロースターター」「Surrender」など。

変わらない日常を歌おう、幸せを歌おう、という路線よりこの頃のミスチルが大好きという人は少なからずいるだろう。

ライブのパフォーマンスも今とはまったく違う。
今では観客ととても近い姿勢で、何回も煽りを入れながら観客を楽しませるパフォーマンスをするミスチル桜井だが、この頃は自分たちを「魅せる」ことに徹底している。観客とのコミュニケーションはほとんどないと言ってもいい。
そしてそこがカッコよくて仕方がない。ミスチルメンバー達のビジュアルもこの頃が1番色気があったり若さゆえギラギラしている。
桜井28歳~30歳のときである。

十二月のセントラルパークブルース

 

マシンガンをぶっ放せ

もしかしたら2000年でミスチルは解散していたかもしれない

2000年、アルバム「Q」をリリースした後、ミスチル桜井はこんなことを言っている。

「もうMr.Childrenでできることはすべてやり切った」

つまりミスチルの解散を考えていた。
桜井和寿、30歳のとき。

もしここでミスチルが解散していたらいわゆる「伝説のバンド化」したんじゃないかと言われている。
しかしミスチルは解散しなかった、次のステージへ進んでいった。
そこからのミスチルはまた次に語ることにしよう。

アルバム「深海」「BOLERO」と「DISCOVERY」「Q」の頃で2期に活動を分けることができるが、この頃のミスチルの荒々しさというか桜井が病んでいたこともあって、ミュージシャンとして音楽作品としても魅力が溢れている。
それはやはり精神的に追い込まれていると、素晴らしい作品を生み出せるという芸術家ならではの気質のせいか。

Mr.Childrenにもそういった時期があった、今となっては遠い過去の話になるかもしれない。もう20年近く前のことだ。

しかし、この頃のMr.Childrenが生み出した作品は今でも聴き続けられ愛されている。

regress or progress '96-'97 tour final in TOKYO DOME [DVD]

Mr.Children concert Tour Q 2000~2001 [DVD]

 

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