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宮崎駿の息子・吾朗「ゲド戦記」って駄作?天才の子どもは天才になれない法則

2018年01月23日
宮崎駿の息子・吾朗「ゲド戦記」って駄作?天才の子どもは天才になれない法則

親が天才という二世の宿命

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ジブリという存在は宮﨑駿がいなくなれば終わると言われているが、その原因について追求していこう。誰も後継者が育たず、実の息子に映画を作らせるところまでいったにも関わらずその映画の出来にクソクソ言いまくる父、駿。天才とバカは紙一重って本当なんです。

天才とは芸術家とはアーティストとは、

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ジブリの後継者が育たなかったのは

宮﨑駿は紛れもなく天才。

彼が天才な理由は誰でも知ってるし、今更説明する必要もない。でもだからこそ、天才だからこそ
人の気持ちとかわからないし、他人を動かすことなんて一切できない人間だってことだ。

どちらを望むなんて無理な話、天才とはいつの時代も孤高な存在。死んでから評価されたり、生きてたときは日の目を見なかった人もいたり、社会的には生きてはいけない、属せない人のことを天才や奇才という。人を育てる、なんてことはもってのほか、まだ猫のほうが育てる能力くらいはある。

だからこういうクリエイティブな事業展開をしてるところは一代で終わりなんじゃないだろうか。スティーブ・ジョブズなんかもそう。彼は天才だが、彼の後釜は天才ではない。そして彼は天才だからこそ、常識が通用しない部分があるし、大衆から見ればおかしな部分も多い。なぜなら大衆とは天才ではないから。天才は1人、大衆は大勢。多数決なだけだ。

だからジブリとは宮﨑駿であり、宮﨑駿がいなくなったらそれはジブリではない。いくら血の繋がった息子とはいえ、宮崎吾朗は天才ではない。

血ではなく、環境要因がものを言う。

今の時代は芸能界も二世が活躍しているが、誰も親より成功している人がほぼいない。天才は頭のネジがどこか外れているので、子育てなんて向いてないのは間違いない。長嶋茂雄の息子がまともに育てられた人間じゃないのは確か。

天才の息子や娘がおかしな方向に行ってしまうのは仕方がない。

天才の家に生まれたからこそ、滅茶苦茶なほど裕福な家、金は持て余すほどある。初めから全てが満たされた家に生まれることになる。でも天才だからこそ子育てはできない。だけど世間はその天才を超評価している、天才だと持て囃している。でも家では天才ではなく親としての役割は果たしていない。

そんな家で育てられた子どもは、やがて歪むだろう。そんでジャニーズ辞めて、ロックバンド目指したりする。それで成功したのは奇跡的だ。

宮崎駿の息子もきっと同じような環境だろう。全ては生まれたときからあった。でも、そんな親は天才。少女愛に満ち溢れた変態。アニメでは日本一だ。何をやっても敵うことはないだろう。誰ももう超せない存在。

でも子は親を見て育つ。親に影響されて育つため、もちろん息子もアニメーションに興味を持つ。でも親は日本一、いや世界一のアニメーション監督。何をやってももう敵うことはない。でもアニメを作りたいという意志を持ってしまった。もちろん影響を受けた息子は一番近くにあるジブリに入る。でも、ジブリに入った時点で天才を超せないのは初めからわかっていたこと。

それでも作れと鈴木敏夫プロデューサーが言う。これまた変態プロデューサー。

まんまと乗せられた息子は映画「ゲド戦記」を作ることとなった。

なぜなら息子以外は誰もまともに育たなかったから。

むしろこの息子は凄い。
他人が誰一人として、育たなかったジブリで映画を作れたのだから。

「ハウルの動く城」という映画があった。

あれはかつて、あの細田守がジブリに居た頃に任されていた映画だ。

だが細田の作業を見ていた駿が、「お前にはまだ無理だわ、俺が作る」と言い出した。そして細田は途中まで作ったハウルを辞めさせられた。そしてジブリを離れて「時をかける少女」や「サマーウォーズ」を作り上げたのだ。

「ハウルの動く城」のストーリーがなんだか滅茶苦茶なのは、監督が途中で変わったから。

あの細田守でさえ、宮﨑駿の下では生きれなかった。

エヴァやシンゴジラの庵野秀明だって、どれだけかつてジブリでシゴかれたことか。ナウシカの巨神兵ビームは今でも庵野秀明の呪縛となっているだろう。

誰一人として、宮崎駿の下で生きることはできない。

それが天才、奇才、宮﨑駿。

そして「ゲド戦記」を作ろうという案が出来た頃のお話。

ホントは宮崎駿が作りたかったゲド戦記

宮崎駿の息子・吾朗「ゲド戦記」って駄作?天才の子どもは天才になれない法則

ゲド戦記とはアーシュラ・K・ル=グウィンが描いたファンタジー小説である。あのロードオブザリングの元ネタ「指輪物語」や「オズの魔法使い」と並ぶ、ファンタジーの王道。ハリーポッターなどにも影響を与えている。ファンタジーの古典。いわば起源。

そんなゲド戦記を昔から宮﨑駿は「やりたい!映画にしたい!」と幾度となく思っていたという。「ナウシカもラピュタもあなたの作品に影響を受けた!」と。

だから原作者アーシュラさんに、「俺なら絶対あなたの作品を上手く作れる!」と何度もオファーを促した。でもアーシュラさんは「東洋人のアナタに私の作品が作れるはずがない」と、その当時は断ってた。

だが宮崎駿が世界的なアニメーション監督にのし上がるとアーシュラさん、「私が間違ってました」と考えを改め、「どうか私のゲドをアニメ化してください」と懇願した。

このとき駿はすでにもののけ姫や千と千尋を作り終えていた頃だろう。

そのため、「もう俺にはゲド戦記を作るほどの熱量は残っていません」と断ってしまった。

だけどジブリの鈴木プロデューサー、この話を逃すわけがない。あのゲド戦記を映画化してもいいというオファーがジブリに来ている。一体どうすればいいのか!?肝心の宮崎駿には作品を作るモチベーションが残っていない。他に誰がいる!?ジブリには後継者が誰も育っていない…!一体誰が…!?

そこで見つけてしまったのが、実の息子の宮崎吾朗。昔からアニメを作りたいと言っていたが、作ったことはなかったという。でも宮﨑駿の息子ならば…!天才の息子なら作れるはずだ!鈴木プロディーサー、これに賭けた。

鈴木プロデューサー「やろうぜ!息子!」

原作者のアーシュラさんに、映画化します!ということを言いに行くことになりました。もちろん宮崎駿も鈴木プロデューサーと付いていくことになります。

そこで初めて「俺の息子がやる」と言わなければいけません。ですがアーシュラさんからすれば「あなたに作ってほしい」と言われるに決まっている。そこをどうするか。

鈴木プロディーサーは宮崎吾朗の魅力についてアーシュラさんに語りだしました。
「彼は実は昔からアニメをやりたかった男で、ゲド戦記の資料も自分で描いていたんですよ」
そう言って、宮崎吾朗が隠れて描いていた絵、イラストを見せたそうです。

それを見た父・駿、

「こんなのゲド戦記じゃない!!」と激怒。

「あいつは全然わかってませんよ!こんなのゲド戦記じゃないですからね!」
「それに比べて私は昔からゲド戦記を愛してまして!これもこれもあれもあれも描いてます!」

と自分のゲド戦記愛を語りだしたそう。これが私のゲド愛だ!と。

それを見ていた鈴木プロデューサー「・・・・」

「宮さんと長いこと付き合いがあるけど、この時に初めて殴りたいと思った」と当時語っています。

駿の熱弁にアーシュラさん 「!?。何を言ってるんですか!?じゃああなたが作ってくださいよ!?」
宮崎駿「それはもう無理です」

鈴木&アーシュラ「はあ!?」

これが天才。他人の気持ちとか、ジブリのこととか、何の関係もない。
そうして流れのまま息子、宮崎吾朗がゲド戦記を作ることとなった。

結果は…もちろん出来は良いわけがない。
父、駿は映画を途中まで見て放棄するわ、原作者からももちろん酷評されるわで散々。
ジブリにとってはお金になったものの、作品としての評価は世間からも酷。

それでも最後まで作り上げたのは息子だから出来たことだ。他の人には誰も出来なかった。

鈴木プロデューサーは言う。「天才の息子は天才じゃないけど、めちゃくちゃイイ奴」

これはきっと、宮﨑駿の息子だけではなく、全ての天才の子どもに言えることなのかもしれない。

そして、その後色々あって結局、宮﨑駿の後継者は育たず、ジブリは解体することとなる。

宮﨑駿は「風立ちぬ」を遺作として引退した。引退会見もした。

でも、やっぱりまた作る宣言。

「君たちはどう生きるか」を制作。

もう勝手にやってくれ、って感じですよね。天才に付いていくのはもの凄く大変だということ、我を捨てなければ付いてはいけないだろう。なぜなら天才の我が強すぎるから。

だからゲド戦記を作った息子、宮崎吾朗はある意味、凄いんだ。

影との戦い ゲド戦記 (岩波少年文庫)

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