Ripy[リピー]|音楽アーティストを楽しむリスナーマガジン

Ripy[リピー]|音楽アーティスト アイドルを楽しむリスナーマガジン

水曜日のカンパネラがいまいち売れなかった理由

2016年12月22日

水曜日のカンパネラ

水カンこと水曜日のカンパネラ、お茶の間に浸透せず

水曜日のカンパネラをテレビで見た人は口を揃えてこう言う。

「なにこれ・・・」

水曜日のカンパネラは3人組ユニット。歌唱のコムアイを中心としたユニットでバックにはもう2人、楽曲製作者とプロデューサー的な人がいる。ケンモチヒデフミという人が作曲者である。もう一人がDir.Fという何でもする人。そんな謎多き水曜日のカンパネラはYoutubeによって人々に浸透し、支持を集めたネットカルチャーから生まれたユニットである。どちらかといえばサブカルチャー色の強いユニットであり、いやどちらかと問わなくてもサブカルチャー色の強いユニットであり、そういう傾向のあるアーティストを好む人達に好まれている。だからこそネットとの融合性は抜群であった。

そんな水曜日のカンパネラだったのだが、何を思ったのか地上波のテレビ番組に出たり、音楽番組でお茶の間を凍りつかすようなパフォーマンスをしてみたり、コムアイなんて最近ドラマに出たり、もうしっちゃかめっちゃかして、お茶の間を驚かせたり不快感を与えたり、刺激を与えたりしている。

でもそれがいまいち浸透していない。何この奇抜さ!?やべえ超カッコいい!ってみんながみんななっていない。例えば音楽分野のメイン支持層である女子中高生の間で「水カンヤバイ!マヂカッコいい!憧れる!」ってなっていない。ブレイクしきれていない。

スポンサーリンク

目指していたところはどこ?椎名林檎?Perfume?

水曜日のカンパネラが目指しているところはどこか。奇抜さであっと言わせることと合わせてアートな部分も見せて支持されつつ、更に大衆をも掴むポップ性を持ち味にしているところを目指すのなら椎名林檎?コムアイの奇妙奇天烈な発言や行動、奇抜な衣装や自由人すぎるところは若い頃の椎名林檎を沸騰させるところもある。

はたまたネットから生まれたこともあり、コアなネットユーザーや音楽ファンをも掴み、アイドル性をも維持させつつお茶の間にも浸透させていくことを目指していたのならPerfume?どこか人間的じゃない、人工的なもののようにも見える偶像さがコムアイにもある。

でも2つを目指すのはお門違いだ。水曜日のカンパネラは水曜日のカンパネラでしかない。水曜日のカンパネラを目指すべきだ。

でもいまいちパッとしていないし、ブレイクしきれないのは、

マジで曲が「変」

水曜日のカンパネラはマジで曲が「変」。

これは水曜日のカンパネラにとっては褒め言葉である。でも変すぎて一般大衆には受け付けない。「なにこれ、変」で終わる。お茶の間に出てくるのなら、それなりのポップ性を提供してほしいところだが、水カンの場合はネット動画でやっていたことをそのままお茶の間にも持ってくる。ブレイクしたアーティストがアルバム曲でやることを、お茶の間でやってるから大衆には変だとしか映らない。テレビの1パフォーマンスで水カンの中毒性はわからないよ。奇抜なことをやって更に大衆をも魅了したアーティストには必ず大衆に伝わるポップ性が曲の中にある。その濃度が水カンの場合は薄すぎる。

 

コムアイが作詞作曲してない

こんな奇抜なことをやっていて自由奔放な発言をしつつも、アタマの回転の早さも見せてくれるコムアイという女。テレビでも動画でもコムアイしか映らないから、この子が作詞作曲をしているんだと誰もが最初は思うが、水曜日のカンパネラは3人組ユニット。コムアイは作詞作曲をしてはいない。表に出てきていないだけでバックの天才が作詞作曲をしている。

バックの2人が表に出てくるならまだ3人組ユニットだと人は認識するが、コムアイ1人しか出てこないためどうしても3人組ユニットだとは思えないところがある。コムアイが後ろの2人に動かされてるだけでしょ?って思われる。

だからコムアイが本当の意味で憧れの存在にならない。椎名林檎がバックに男がいて、その人が作った曲を歌っていたら今の支持はなかっただろう。コムアイに芸術的な才能になる証拠があれば憧れるが、それがないためコムアイにはアイドルとか芸能人とかタレントとか、そういう人達と同じような目でしか見れない。

 

最初から売る気ない説

AAAの歌唱力

そもそも水曜日のカンパネラは最初から売れるとか、そういうこと考えてないんじゃないという考え。売れることを狙えばいくらでも狙えただろう。コムアイはそこそこ可愛いし、そこそこ美人。二階堂ふみと張り合ってドラマ出たこともあるわけで、水曜日のカンパネラが批判されても、コムアイが可愛いことは誰も批判しない。コムアイのアイドル性をもっと出せば売ることもできただろし、もっと可愛い曲で中毒性を持たせれば大衆受けもしただろう。

だけどあえてそれをせずにお茶の間に出てくる意味はどこにあったのだろうか。こういうことをやってる人、今いますからねってお茶の間に伝えたかったのかもしれない。

水曜日のカンパネラに対して「売れなかったね」って言うことが自体が間違いである。

そもそもこのユニットは最初から売れ線でもなんでもない。それをお茶の間に持ってきただけであり、売れなかったねの一言で批判対象にするのは間違いだ。彼女らは彼女らのやり方でこの先も活動していくだろう。唯一無二のユニットとして有り続ければいい。過去の誰かになるのではなく、水曜日のカンパネラというジャンルを確立させる。そのときに売れなかったねなんて声はなくなるだろう。


関連記事
水曜日のカンパネラって何がいいの?サブカル臭すぎて恥ずかしい
水曜日のカンパネラ コムアイが10代20代を代表する女性ソロアーティストになる
【水カン】水曜日のカンパネラが売れてる コムアイの自由性がうけてる

人気の記事

今週のMステを先取り

今回の出演者


ウルトラFES

もっと見る

前回の出演者

小沢健二とSEKAI NO OWARI
関ジャニ∞
乃木坂46
福山雅治
横山だいすけ

もっと見る

こんな記事もあるよ